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野崎観音の境内・諸堂案内

本堂 境内諸堂案内

大阪の東端、生駒山系飯盛山の麓にある山寺です。約150段の石段を上ると本堂・江口の君堂をはじめ、たくさんのお堂が立っています。また飯盛山ハイキングコースの入り口として、多くの人々に親しまれています。境内は拝観無料ですご自由にお入りください。
また本堂も法要がない時はお上がりいただいてお参りできます。緑豊かな静かな時間が流れる大阪から一番近い山寺です。大変見晴らしが良く、大阪市内のビル群を手前に条件が良い日は、遠くは淡路島まで見えることもあります。

御本尊十一面観世音菩薩像(平安時代中期)

白檀の一木彫りで、渦巻く波間に躍動する龍の背に立ち、穏やかなやわらかい眼差しでお参りの方々を迎えてくださいます。
半眼の穏やかな表情が眠っているようにも見えるため居眠り観音とも呼ばれています。
西国霊場三十三か所を決める観音様の集まりがあった際、居眠りをして遅刻をしたため西国霊場に入れてもらえなかったそうです。
霊験あらたかな話ではなく、少し人間味のある言い伝えは、当寺が信仰の場として多くの方々のお参りがあるとともに、行楽としての『のざきまいり』をはじめ、落語や浄瑠璃の舞台として大阪の人々に古くから広く親しまれた事を表しているように思われます。

本堂

本尊十一面観音菩薩を中心に脇侍仏として、普堅菩薩と文珠菩薩をおまつりし、両脇に持国天、多聞天、広目天、増長天の四天王がご本尊をお護りしております。旧の本堂は昭和9年に室戸台風によって破損しましたが、十九世尾瀧一峰和尚が北河内一円を托鉢し多くの方々の浄財により、東大阪日下の大龍寺(黄檗宗)の禅堂を譲り受けてここに解体移築し本堂としました。
棟木には約320年前の元禄2年の銘があります。

鐘楼

梵鐘は、宝永5年鋳造のもので「枚方住田中河内大目藤原家成」の銘があます。昔は「野崎の鐘のつきっ放し」と言われ、いつでも撞くことができましたが、現在は除夜の鐘やお寺の法要の時に撞かれています。

江口の君堂

当寺の中興開基江口ノ君光相比丘尼として本堂の右隣の君堂におまつりしております。平安時代の方で、淀川の右岸(現東淀川区)江口の里の白拍子(歌舞を演じる遊女)です。病を十一面観音様に治して頂いたお礼に当寺を再興されました。その後、多くの女性の方々が江口の君にあやかろうと観音様にお参りされるようになりました。妙の君・きみさんとして大阪の女性に親しまれてきました。安産・子授け・病気平癒・縁結びなど、あらゆる女性の願いをお聞きくださいます。
毎月十四日はご縁日となり午前中、祈願やいとがあります。
☆四月十四日は大祭が行われ、君堂で特別祈祷法要が 厳修されます。

賓頭盧尊者(びんずるそんじゃ・ビンズルさん)

お釈迦様のお弟子さんの一人です。神通力を使って人を驚かせてしまったため、お釈迦様に本堂の外、人の手が届く所に座るように言われ、ここに  座っていらっしゃいます。撫で仏としてご病気や痛い所、良くなりたいところを 引き受け治してくださいます。平成29年の台風で転んで大怪我を負い、長期療養されましたが、多くの方々の篤いご寄進により、すっかり元気でお綺麗になって戻って来られました。その時に、宝暦3年(1753年)産まれの260歳以上のご高齢であることも判りました。

三十三所観音堂

西国観音霊場の観音様が一堂におまつりしてあります。当寺のご本尊『十一面観世音菩薩』を中心に、第一番の那智山青岸渡寺から第三十三番の谷汲山華厳寺まで計三十四体の観音様を一会でお参りすることができます。昔は交通手段もない上、社会的な制約もあり、一般の人々が西国三十三ヶ所観音霊場にお参りすることは、とても難しいことだったと思われます。
そのような時代に、このお堂で三十三ヶ所すべての観音様にお参りできることは、現代の私たちが想像する以上にありがたい事だったのではないでしょうか。お堂の中に上がってお参りすることができます。

らかん堂・十六羅漢像

釈迦牟尼仏座像を中心に十六体の羅漢像がお祀りされています。
羅漢とはお釈迦様の十六人の高弟のことであり、野崎観音の十六羅漢は、江戸時代から「のざきかんのん十六羅漢、うちの親父は働かん」と子どもの遊び唄にまで親しまれ、観音様と共に信仰を集めてきました。
昭和26年に山崩れに遭い、羅漢堂は流失し、尊像も著しく損傷を受けましたが、平成18年に羅漢像の修復が完成、その後、仮羅漢堂に一時安置されてありましたが令和3年に羅漢堂が再興され遷座されました。

薬師堂

薬師如来は、心身の病気を治してくださる仏様で、病気平癒・身体健全・延命長寿の功徳があると言われています。

お染久松の塚

お染久松を主題にした近松半二「新版歌祭文」をはじめ、近松門左衛門「女殺油地獄」、落語「のざきまいり」、東海林太郎「野崎小唄」などに登場し広く名前を知られました。
境内にはお染久松の比翼塚(供養塔)があります。
またお染久松の物語は、野崎会館横に絵物語がございます。

石造九重層塔

当石塔は昭和初期まで九層でしたが、現在は最上層と相輪を失い、高さ280センチの八重層塔となっています。 造立銘は永仁2年(1294年)とあり、74字の金石文を礎石に刻する北河内最古の層塔です。大東市指定文化財です。

永代供養墓「久遠墓」